ぽてかなの私見

「記憶は薄れるから、記録しておくんだよ」「記憶なんて生きるジャマだぜ」

【響け!ユーフォニアム】久美子があすかを説得するシーンのカメラワークについて

 こんにちは。
 ぽてかなです。

 

 今回は「響け!ユーフォニアム」の記事です。なぜ今更この作品を?と思われる方も多いかとは思いますが、それは先日、私が立川シネマシティで初めて「響け!ユーフォニアム」1期のオールナイト上映を拝見したからです。*1”初めて”というのは、オールナイト上映が初めてという事ではなく、作品自体が初見でした。

 嵌りました、物の見事に。

 帰るやいなや早速、私は「響け!ユーフォニアム」シリーズのアニメ作品を見漁りました。普段はtwitterで感想を簡単に述べて終わる事の多い私ですが、本作に関しては少し本腰を入れて語りたいと思い、筆を執るに至りました。

 特筆すべき点を挙げれば枚挙に暇がない作品ではありますが、本記事では「響け!ユーフォニアム 2」10話および「劇場版 響け!ユーフォニアム ~届けたいメロディ~」から、久美子があすかを説得するシーンをピックアップして、そのカメラワークについて所感を述べたいと思います。何故このシーンなのか。何故カメラワークなのか。それを敢えて語る事はしませんが、記事を読んでいただければ何となく伝わるのではないかなと思います。

 素人目線の雑感なので正解かどうかは不明ですが、自分はこのシーンをこう解釈して楽しんだよ、という解答例の1つとして捉えてもらえれば幸いです。

 

 まず全体の流れから。
 このシーンは、家庭の問題でコンクールへの不参加を選択したあすかを、久美子が説得するシーンです。スタート地点がネガティブなので、基本的には日陰にカメラを置いて影から2人を映す、という構図で進行します。久美子の説得であすかの心が動かされると、カメラがイマジナリーラインを超えて日向側に移る回数が多くなります。そして最後にはアングルが日向側に固定され、2人がゴミ捨て場(日陰)から外(日向)へ出てくるカットでシーンが終了します。
 ネガティブからポジティブへ。
 日陰から日向へ。
 この対比でシーンの展開とカメラワークが連動していると私は感じました。

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これが……

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こうなって……

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こうなる

 さてシーンの開始地点に戻ります。久美子が「みんな言ってます。あすか先輩が良いって。」と説得の言葉を投げ掛けると、カメラがイマジナリーラインを超えて日向側に移動します。しかし、すぐにカメラがあすかに寄ると、彼女は「みんな?みんなって誰?」と久美子の主張の弱点を容赦なく突き崩します。そしてカメラは再び日陰側に戻ります。会話の主導権の奪い合いがカメラワークで表現されている訳です。

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 そのまま、あすかは久美子を説き伏せて、彼女の横を通り過ぎて立ち去ろうとします。しかし刹那、久美子が「だったら何だって言うんですか!?」と叫びながら振り返ると趨勢が変化し、それに合わせてカメラワークも久美子寄りに変化していきます。「たしかに先輩は正しいです」と久美子が言うカットでカメラがイマジナリーラインを超えると、今度はあすかではなく久美子にカメラが寄ります。そしてアップで映された彼女は”みんな”ではなく自分自身の剥き出しの本音――「あすか先輩と本番に出たい。私が出たいんです!」――をあすか先輩に叩き付ける。ここで完全に久美子が主導権を握った。台詞だけでなくカメラワークもそれを示唆していると感じました。

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 また余談ですが、2人の位置関係が途中で変わることで、2人に陽の光が当たる角度も自然と変わります。影から光へ。これも巧いなと思いました。アニメを見ていると話が好転するシーンで、急に外から異様に強い陽光が室内に差し込んできたり、土砂降りの雨が唐突に止んだり、といった不自然な情景描写に遭遇する事があると思います。このような違和感を視聴者に覚えさせる事なく、状況と情景をリンクさせるためにはどうすればいいか。その模範回答の例をここに見た気がします。

 

 そして本番はここから。
 久美子が「先輩こそ何で大人ぶるんですか!?」と激情を吐露するカット。

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 このシーンでは久美子とあすかがそれぞれ、キャラクターの後ろに空間を作るレイアウトで配置されます。久美子の背後には陽光を浴びる木々が奥側に見えるのに対して、あすかの背後は校舎で陽が遮られて暗く見えます。それだけではありません。丁度、背景の校舎の壁があすかの背中に沿うような形で配置されているので、まるで久美子があすかを壁に追い詰めているかのように見える構図になっています。
 それに加えてダッチ・アングル。あすかが左上、久美子が右下。上手(右)にいる久美子が、下手(左)にいるあすかに下から挑み掛かるような構図。喩えるなら久美子があすかの胸倉を掴んで下から絞り上げるような構図です。

 ここで少し遡ってみると「心配しなくても、みんな私の事なんかすぐに忘れる。一致団結して本番に向かう。」とあすかが久美子に言い含めるカットでも、ダッチ・アングルが使われている事に気付きます。ここでは久美子が左下、あすかが右上です。あすかが久美子を圧倒している。それが「だったら何だって言うんですか!?」を経て立場が逆転した訳です。

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 さらに遡ると「みんな、絶対、あすか先輩に出て欲しいと思っています。」と豪語する久美子に対して、あすかが屈んで下から久美子の顔を覗き込みつつ「黄前ちゃん、そう言える程、その人達のこと知ってるのかな?」と静かに問い質すカットがあります。そう、ここではダッチ・アングルは使われていない物の、あすかが下から久美子を攻撃しています。「先輩こそ何で大人ぶるんですか!?」のダッチ・アングルは、このカットに対する意趣返しという気もします。

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 話を戻します。さらにこのカットでは、キャラクターの前の空間が描写されておらず、これが次のカットへの前振りとして機能しています。「先輩だって、ただの高校生なのに!」その言葉が久美子から放たれると同時に、久美子からあすかへ、カメラは実際の距離を無視してパンしています。本来、2人は少し離れた位置で会話していますが、レイアウトとカメラワークの妙で、この瞬間、まるで2人が至近距離で会話しているかのような錯覚に陥ります。久美子の言葉が遂に、遂にあすかの心へ刺さった瞬間。2人の精神的な距離の変化が表現されたと感じました。

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 ここから久美子がヒートアップしていくにつれて、目紛しくカットが切り替わるようになります。そして繰り出されるダッチ・アングルの嵐。細かいものまで全て挙げるとキリがないので2つだけ紹介します。
 まず「私はあすか先輩に本番に立って欲しい!」と涙ながらに訴えるカット……というか、この台詞だけで4回もカットが切り替わるので、正確には”私はあすか先輩”の部分になります。このカットでは、あすかが左下、久美子が右上に配置されます。もはや"挑む"というフェーズは終了して、あすかを"圧倒する"段階に移行しています。

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 そして直後の「あのホールで先輩と一緒に吹きたい!」という台詞の"あのホールで"までのカットでもダッチ・アングルが使われています。しかし、ここのダッチ・アングルは今までと異なり、対比軸が変化しています。今までは2人を横から撮る画角で傾斜を掛けていましたが、今回は久美子の正面にカメラが置かれています。2人の何方かではなく、日向側が左下、日陰側が右上なのです。もはや言うまでもない事でしょうが、これは状況が好転した事を指していると私は考えます。

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 ちなみに、これの少し前にも同様に日向側へ傾いている(こちらはあすかの顔が見える位置にカメラが置かれています)カットがありますが、そのカットよりも"あのホールで"のカットの方が傾斜がきつくなっています。状況の進行。角度の変化を含めての表現だと私は思いました。

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 そうして久美子が思いの丈を全て吐き出すと、あすかは「なんて顔をしているの?グチャグチャだよ?」と笑いながら久美子の元へ歩み寄ります。そして彼女が久美子の頭に右手を置いた瞬間、カメラもまた完全にイマジナリーラインを超えて日向側へ。

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 以降のカットは全て例外なく日向側から映しています。このシーンはあすかの台詞も好い。「そんなんだったら言わなきゃいいのに。でも……嬉しいね。嬉しいな。」他人事のような言い回しが徐々に崩れていく。本音には本音を。感情には感情を。その上で「顔、見てもいいですか?」「ダメ。見たら末代まで呪われるよ?」ここでカメラもあすかの表情を映さないのが好い。あすかへの思い遣りと久美子や視聴者への「見せなくても(それまでの描写で)分かるでしょ?」という自負と矜持を感じた気がしました。

 

 さて、このシーンのカメラワークについて自分の所感を説明してみましたが、如何でしたか。自分でも少し牽強付会かなと思う部分はありますが、それも1つの見方として楽しんで貰えれば幸いです。あるいは逆に私が見落としているだけで、まだまだ色々な仕掛けがこのシーンには仕込まれているかもしれません。何はともあれこの記事が「響け!ユーフォニアム」をさらに深く楽しむための切っ掛けになると良いなと思います。

 

 それでは、また。

 


【追記】
 本作の終盤に久美子があすかから「響け!ユーフォニアム」のノートを受け取るシーンがありますが、このシーンが今回取り上げたシーンと対になっている事は言うに及ばないと思います。しかしこのシーンでは、カメラがイマジナリーラインを超える事は一切ありません。ダッチ・アングルも使われてはいますが、使い方が異なる――2人の優勢・劣勢という対比軸では使われてないように思います。ここは2人が会話の主導権を取り合うシーンではないので、当然、カメラワークも変わってくるという事でしょう。本記事ではシーン単体を掘り下げましたが、このようにシーン同士の対比で見るのも楽しいですね。

 


【番外編】
 本記事では、久美子が「だったら何だって言うんですか!?」と振り返る直前に記憶がフラッシュバックするカットについて言及を避けていますが、これはカメラワークにフォーカスを当てた本記事の主旨から外れるトピックだと思ったからです。ただ番外編という形でなら触れてもいいだろう、という事で最後にこのカットの所感を述べて終わりたいと思います。

 

「みんな、あすか先輩に出て欲しいと言っています。」と自分ではなく"みんな"を盾に説得を試みる久美子に対して「みんなって誰?」と問い質すあすか。「気になって近付くくせに、傷付くのも傷付けるのも怖いからなあなあにして、安全な場所から見守る。そんな人間に相手が本音を見せてくれてると思う?」その言葉に衝撃を受けつつ、あすか先輩を引き止める言葉を探す、そのために久美子の記憶がフラッシュバックします。

 

 フラッシュバックの一番最初に出てきた人物は麗奈。久美子にとっては自分に本音を晒してくれているという意味で最も信頼できる人ですね。そういう意味で最初に彼女が出てきた事は納得できます。そんな麗奈の「あの先輩とてもそんな風には見えないけど。(何方かというと自分が吹ければいい、みたいな感じだったし。)」という一言を想起した背景には、先輩の本心を知りたいと思う気持ち、あるいは「自分のために吹きたい」というモチベーションに対して賛同する気持ちが在るように感じました。何故なら、この回想の直後のカットでもダッチ・アングルが使われていて、日向側が左下、日陰側が右上になる構図で傾斜しているからです。

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 次に夏紀先輩。彼女の「今この部にとって一番良いのは……(あすか先輩が戻ってくる事)」という言葉は、結論こそ真逆ですが、部にとっての"ベスト"を語るあすかの言葉と本質的には一致しています。そして何方も本心かどうか、久美子は自信が持てない。ここでもダッチ・アングルが使われていますが、さっきとは逆方向――日陰側が左下、日向側が右上です。そして画角を微妙に揺らす、本作で散見されるいつもの演出。これは上記の夏紀先輩やあすかの発言に対する、久美子の反感と不安を表現しているように感じます。

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 そして次の回想はTVシリーズ2期と劇場版とで別のキャラクターが登場します。TVシリーズ2期は希とみぞれ。劇場版では、希とみぞれのエピソードがカットされた影響で、緑が回想に出てきます。

 私見ですが、ここは緑の回想を挿む方が前後の流れが分かりやすいと感じましたので、まずは劇場版の方から触れたいと思います。「緑は飛鳥先輩と一緒に部活やりたいです!」1期の頃から彼女は少しマイペースな所があるなとは思っていましたが、その自分本位な所に今回は救われました。彼女に関しては本音かどうかではなく、発言の内容が全てだと思います。誰かの本心を探るのではなく、部にとっての損益を推し量るのでもなく、ただ自分の望みを朗々と語る緑。自分本位で何が悪い。そこでアップで映される久美子の表情。見開かれた眼が緑への賛同を、揺らぐ瞳が彼女の迷いを物語っていると感じました。そして、次のお姉ちゃんの回想を経て”迷い”をかなぐり捨てる、という流れで展開していきます。

 一方でTVシリーズ2期の方では、みぞれの「伝えてほしい。あすか先輩に。待っていますって。」という言葉、すなわち、先輩2人から託されたという事実を想起します。ここで久美子は「先輩から頼まれたのだから何か言わないといけない」と焦燥に駆られていたのかもしれないし、あるいは「誰かに頼まれたから説得しているのか?」と腑に落ちなかったのかもしれない。後者なら後の展開――”みんな”ではなく自分の本音をあすかに叩き付ける――にも明確に繋がっているのですが、久美子の表情は周囲の期待にどう応えたらいいか分からないと困惑しているように見えます。

 このように希とみぞれの回想は前後の繋がりが些か不明瞭なので劇場版の方が分かりやすいと感じました。とはいえ、劇場版とTVシリーズ2期では回想の役割が違うのかなとも考えています。劇場版ではそれぞれの回想で台詞が独立して再生されていたのに対し、TVシリーズ2期では最初の麗奈の台詞が最後まで再生されていたように台詞同士が重なって聞こえていました。つまり劇場版では回想と回想の繋がり・流れを明示するよう意識していたのに対し、TVシリーズ2期では久美子の思考が混線していく様子を優先的に見せたかったのではないかと思います。

 そして最後にお姉ちゃん。両親の期待に応えて特別な存在になるために、自分の子供じみた本音と向き合わなかった人。後悔。その後ろ姿がどうしようもなくあすか先輩と重なる。そこでコンロの火が点火する。最後の最後に久美子を衝き動かした情動はただの怒りだった、という事だと思います。それはガスコンロに火が点くのと同じぐらい当たり前の感情。”みんな”の本音と損益を測りかねた挙句、天秤を丸ごとぶん投げて「だったら何だって言うんですか!?」と自分自身の本心を吐き出す。暴露する。この結論に真っ先に繋がるのは、やはり緑の台詞だと思います。しかし、周囲に翻弄されて混濁した久美子の意識が、お姉ちゃんの回想を経て1つの決断に収斂する。そのカタルシスも捨てがたい。どちらの構成もアリだと私は感じました。

 

 「"みんな"は本音を言ってくれていたのか?」からスタートして"みんな"の発言を振り返った結果、何て事はない、大事なのは"みんな"ではなく自分自身の本音だ、という結論を導き出す。それを言葉ではなく「久美子の手がガスコンロに火を点ける」という描写で無言のままに表現する。その説得力。久美子から出てくる台詞は確かに「だったら何だって言うんですか!?」以外にあり得ないと納得できる。1つ1つの回想の内容や順番、回想と回想の間に挟まれる現実の久美子の表情、カメラワーク、その全てに意味がある。都合10秒程度の短いカットですが、非常に濃密で計算され尽くされている10秒間であると感じました。

*1:尚、2期の方は残念ながら都合が合わず……。口惜しい。