ぽてかなの私見

「記憶は薄れるから、記録しておくんだよ」「記憶なんて生きるジャマだぜ」

がっこうぐらし!アニメ版の由紀が池沼超能力者にされたメリットとは

※この記事は原作既読者向けの記事です。読者が原作の描写を知っていることを前提として書いています。また、原作4巻、アニメ8話までのネタバレが含まれています。

 

 アニメ版の由紀がいかに池沼、或いは超能力者として描かれていて、そのデメリットに見合うだけのメリットがどこにあるのか、私は1人の原作ファンとして考えた。7話のとある描写を起点に、6話以前に遡ってキャラの言動を見極め、8話から今後の展望を読み取る。大まかな流れはこんな感じだ。

 前置きはここまで、早速本題に入ろう。

 7話では1巻第6話「おてがみ」が重点的に描かれた。このエピソードはみーくんが救出された後に回されるだろうと、原作既読者の大半が予想していただろう。OPで映る手紙にみーくんが描かれているからだ。

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 まず「おてがみ」にみーくんを出した狙いを推察する。

 このエピソードは1巻ラストのお話であり、最後に2巻への引きとして謎の少女が描かれて終わる。その少女がみーくんだ。私も1巻を読んだとき「このキャラは誰だ?」と気になって、気付けば2巻以降をポチっていた。しかしアニメでは1話から既に、みーくんが学園生活部の一員として描かれている。故に、前述のような“引き”が期待できない。必然的に「おてがみ」は最後の“引き”をカットして映像化されることになる。

 すると、この話は1話完結、非常にキリの良いエピソードに変貌する。7話の最終回然とした終わり方を見れば一目瞭然だろう。このあとにシームレスで別の話を繋げるためには、また新たな“引き”を用意しなくてはならない。故に、原作の「おてがみ」にアニメオリジナルの脚色を加えて、1話丸々を1つのエピソードで完結させる作劇が余儀なくされた*1。しかしそれでは尺が足りない。そこでみーくんと学園生活部の絡みを追加したり、太郎丸と由紀の認識論について言及することで、尺を調整したのだろう。

 勿論、これは全て私の憶測でしかない。だが、原作者がシリーズ構成を担当しているだけあって、精緻な計算の上で原作が切り貼りされているのは間違いない。

 ……そう思っていたのだが、どうしても計算が狂っているとしか思えない箇所を見つけた。百聞は一見に如かず。まずは該当シーンのやり取りを抜粋する。(尚、twitterでは全体的な改変の方向について何度か呟いている。気になる方はそちらを参照されたい。)

 

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「りーさんおかわりー!」

「ごめんね由紀ちゃん。お代わりは無いのよ。」

「遠足で持ってきたの、種類重視だったからなぁ。」

 

 

 一方、原作では――

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 見ての通り、原作ではうどんを切らした理由を「購買では補充できなかったから」と説明している。ここで、原作の一番下のコマに注目してほしい。由紀がぽかんと口を開けたまま静止し、それをくるみが気遣わしげに一瞥している。このあと由紀はめぐねぇに遠出の許可を貰いに行き、それが2巻第8話の「えんそく」に繋がる。その結果、たまたま遠足先でみーくんと出会い、彼女を救出することになる。

 一方アニメでは、うどんを食すシーンを遠足の後に回したため、うどんを切らした理由が「種類重視で選んだから」に改変されている。奥歯に物が挟まったような、度し難い台詞だ。みーくんを発見する前に補充したハズなのに、4人分のうどんが用意されているのは何故だ、種類重視とはいえたった1回分しか補充しなかったのか、等々の些少な突っ込み所はさておき、ここで1つ致命的な問題が浮上する。

 それは、アニメ版では“うどんを補充する”という理由付けがなされないまま、由紀が「なんとなく」遠足に行こうと言い出したことである。この時点で由紀の遠足提案は単なる我侭でしかない。後にくるみはこれを「由紀は何故か本当にそれが必要になったとき、こういうこと(遠足や運動会など)を言い出すんだ」(第6話)と説明した。しかしアニメ版では、遠出の必要性をくるみやりーさんが唱える場面はない。ならばその必要性は、由紀本人の内なる声が示した道に他ならない。つまりアニメ版由紀は、まだ顔も知らないみーくんを救出するために遠足を提案したのである。まさか第6感か超能力で無意識にみーくんの危険を察知した、とでも言いたいのだろうか。

 原作では上述の通り、遠足がみーくんの救出に繋がったのは結果論である。由紀は「購買では買えないもの*2を調達したい」というりーさんやくるみの要望へ応えるために遠足を提案した。つまり原作の由紀は彼女なりに学園生活部に貢献しようと「頑張って」いる。妄想の世界に逃げながらも、彼女は自分にやれることを精一杯やっているのだ。これは、のちの喧嘩イベントでみーくんが導いた結論*3に、説得力を持たせるための具体例だ。

 しかしアニメ版の由紀は第6感で誰かの危険を察知する超能力者にされてしまった。言い切ってしまうが、この由紀は断じて「頑張って」などいない。彼女はくるみやりーさんに養われながら、ただ自由気侭に振舞う。その過程で第6感が発動して、たまたま部に必要なものを提案すると、くるみやりーさんはその恩恵に預かる。これを共依存と言わずして何と言う。そのくせ、由紀の第6感は何故か圭ちゃんを助けなかった。くるみの言う「必要なもの」に圭ちゃんは入っていなかったのだろうか。考えれば考えるほど杜撰な設定だが、みーくんはあっさりと受け入れてしまった。そのせいで、アニメ版のみーくんは由紀について真面目に考えていないとすら感じられる。

 現状、アニメ版の由紀は少し勘のいい池沼幼女にしか見えまい。紛うことなき足手まといだ。原作のみーくんがこの惨状を目の当たりにしたら、一弾指の迷いもなく退部を決めるに違いない。由紀のCVを担当した水瀬いのりさんは彼女を主人公*4だと言った。主人公の扱いがこれでいいのだろうか。

 畢竟、由紀が「能動的」に学園生活部へ貢献しようと頑張っていることが描かれないと、彼女の魅力は視聴者に伝わらない。そのためには、由紀本人が自分の役割を口にする場面を設けなくてはならない。そればかりは第三者が口を出せる問題ではないからだ。原作でみーくんが由紀を連れてバリケードを越えるシーンを思い出して欲しい。介入しようとしたりーさんを、くるみは制止した。第三者が介入したところで意味はないと、彼女は知っていたからだろう。

 そんな気配りのできるくるみがアニメでは、口頭でベラベラ由紀の役割を説明するという暴挙に出た。原作とは丸きり真逆の対応である。以前からくるみについては、原作と別人のような言動が散見されると思っていたが、さすがにこの描写には心底驚いた。そこまで改変して由紀を池沼超能力者に変えたメリットはどこにあるのか、私には皆目検討も付かなかった。

 そして先日、がっこうぐらし!8話が放送された。なんとその8話で早速、由紀の超能力が発揮された。該当シーンを抜粋する。

「そこはもうさっき探したハズだけれど……」

「そう思うでしょ?」

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「飾り板だったのね……」

  アニメ版由紀お得意の第6感がめぐねぇの飾り板を看破している。言うまでもなく、このシーンはアニメオリジナルだ。原作ではくるみとりーさんが、みーくんに1人でめぐねぇの戸棚を調査させる。

 アニメではみーくんが実にあっさりとくるみの説明を受け入れたため、原作より早く学園生活部との心の距離が縮まる。特にアニメ版のりーさんとみーくんはかなり親密な関係を築いている。6話で2人が握手をするシーンは、原作で由紀とみーくんが握手をするシーンのセルフオマージュだろう。この演出から私は、原作における由紀・みーくんの距離感と、アニメにおけるりーさん・みーくんの距離感はほぼ同じであると考えている。これだけ親密な相手にめぐねぇの戸棚の調査を丸投げしたら、明らかに不自然だ。故に制作陣は「りーさんとみーくんの2人で調査する」という展開を選択したのではないかと考える。

 2人で調査するには、その切欠も2人で共有しなければならない。それが第7話で出てきた「職二金」の鍵だ。鍵を隠していた以上、アニメ版のめぐねぇは相当強い意思でマニュアルを隠匿していた、ということになる。だから鍵の他に何かしらのギミックを用意していたとしても不思議ではないだろう。また、作劇の一貫性という観点で見ると、アニメ版がっこうぐらし!にはホラー要素の定番ネタ*5が多々仕込まれている。今回の飾り板もホラーゲームにありがちなギミックだ。

 この飾り板という選択は絶妙なラインだと思う。探す側にとっては見つけにくい仕掛けでありながら、めぐねぇ自身が解除するのは容易い、お手軽ギミック。マニュアルを見つけたあとのめぐねぇは精神的に追い詰められている筈なので、本当は仕掛けを考える余裕があるとは思えない*6のだが、飾り板ならギリギリ許容範囲だろう。(例えばリトバスEXに出てきた隠し板のような「推理を必要とする仕掛け」はアウト。めぐねぇ意外と余裕だったんだね(笑)と言われても文句は言えまい。)

 そして、その程度の簡単な仕掛けならば、由紀の第6感設定を活用することで、テンポを損なうことなく、仕掛けを解除して話を前に進めることが出来る。同時に、解除する前にみーくんとりーさんが手詰まりに陥る展開を挟むことで、めぐねぇの仕掛けがきちんと機能している、つまり彼女はそれだけマニュアルを隠したかった、という無言の訴えも恙無く表現されていると感じた。

 仕掛け板の件だけでなく、遠足の提案も由紀の第6感設定が活用された例の1つだ。4話が放送されていた頃、アニメ版初見の方が「遠足へ行く意義が分からない」と言っているのを見た。至極もっともな意見である。しかし後に「由紀の第6感がみーくんの危機を救った」と説明することで、意義ではなく由紀のセンスが全てだ、という理屈が正当化される。力技ではあるが、“アニメがっこうぐらし!”という枠の中では、1本の筋を通すことに成功していると言える。

 つまり由紀の第6感設定には、一見不自然に見える作劇を「由紀が察したから」の一言で強引に押し進めることが出来る、という野蛮かつ強力なメリットがあるのだ。雑といえば雑だが、これにより作劇の選択肢が大幅に広がるのは間違いない。

 しかし、仮にこの私見が正しかったとしても、現時点*7では、このメリットが十分に――上述のデメリットを埋め合わせるほどに、活用されているとは思えない。

 全ては後の祭りだ。由紀を怠惰な超能力者にしてしまった事実は覆せない。ならばいっそ、今後の話数ではできるかぎり、由紀の超能力設定をモリモリ作劇に組み込んでいくべきだ。必然性を訴えれば、それだけメリットが加算されていく。これだけのデメリット(負債)を払いきれるとは思えないが、見事にそれを覆して欲しい。とはいえ無論、やりすぎて話がこれ以上破綻しては本末転倒だ。その辺は監督やシリーズ構成のバランス感覚と計画性が問われると思うが、さてどうだろうか。

 私は原作改変=悪と言っているわけではない。改変した結果、別物としてまともな筋の通った作品が出来上がるなら、それはそれでいい。その点、がっこうぐらし!の改変は中途半端でなく、原作の構造を抜本的に取り壊して全く新たな作品「アニメがっこうぐらし!」を作ろうとしている姿勢が見られる。だからもしかすると、残りの4話で由紀の魅力をきちんと描いてくれるかもしれない。

(いや実際、そうしないと話も進まないしな……。バットとケミカルライトで武装してシャッターの外に飛び出すシーンとかどうするの。でも、9話の水着回って嫌な予感しかしないんだよなー。くるみもりーさんも、めぐねぇのことが心配で暢気に水着で遊べるような精神状態ではない筈だが……。)

 と、とりあえず私は、1人の原作ファンとして最後まで見守るつもりだ。

*1:だからってOPのアレンジまで流すことはないと思うが。正直、あれはギャグにしか見えなかった。

*2:勿論、うどんだけではない

*3:「あの人も頑張ってました」

*4:ちなみに私は由紀のことを主人公というよりトリックスターだと思っている。

*5:或いはBGM

*6:原作では戸棚に戻して誤魔化すのが精一杯だった。

*7:8話まで