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ぽてかなの私見

「記憶は薄れるから、記録しておくんだよ」「記憶なんて生きるジャマだぜ」

たまゆら~卒業写真~ 第1部 “芽-きざし-” を拝見したので。

「おかえりなさい、ぽって」

 

 そんな一言が胸の奥から込み上げてくるような映画だった。もあぐれっしぶの冒頭よろしく、ぽってのモノローグが流れたとき。ずっとその一言が脳裏に浮かんで離れなかった。

 ここ数ヶ月、私はたまゆらの映像や音楽から自身を切り離していた。1期や2期を見て復習するのも控えた。何か大した狙いがある訳ではない。ただ、彼女たちに「おかえりなさい」と言いたかった。

 再開の喜び。“始まり”への期待。

 1時間を通してこの身を包んでくれた、優しくて暖かい、得がたき幸福感と随喜の涙。それを感興の赴くままに振り返ってみたい。

 そんな訳で、この記事はネタバレ有りです。ご了承下さい。

 前置きはここまで。では――――レッツフォト、なので。

 

 

 

 さて、まず気になったのは、ぽってが被写体たる蝶にふらふらと近寄り、そのまま欄干から落ちそうになる場面。たまゆらシリーズのお約束。

 

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 皆さんおなじみ、ぽってのお家芸。

 私が求めていたものを早々に見れた。嬉しいの一言に尽きる。

 直前のシーンの構図も好き。自転車に跨ったぽってを後方、低めのアングルから映す。映画だから映えるダイナミックな画角。その上、脚の描写に妥協がない。

 滋味掬すべきカットが続いて、心が昂揚するのを感じました。

(求めていたものと言えば、幼少期のぽってが見れたのも嬉しい。)

 

 

 そして新キャラの登場。これまた可愛らしい娘が2人。

 とりわけ巧美ちゃんのプロ志向は、ぽってを進路の選択へと駆り立てる推進剤になる。そしてこういうときに高い決断力と行動力を発揮するのが、ぽって「らしい」ところ。

 竹原に戻ったとき。写真部を作ったとき。

 きっかけさえあれば、あぐれっしぶに前へ進める。積み重ねてきた思い出を、自らの成長へと繋げることが出来る。これはぽっての長所。個人的には才能と言いたいぐらい。

 余談になるけど、エンディングの影絵の動きは彼女のこういった側面を存分に表現していたと思う。ぽってを先導していたお父さんの手が、唐突に彼女から離れてしまう。名残惜しそうに父の面影に手を伸ばすのもつかの間、すぐに引っ込めて、その両手をまんじりと見つめる。その上でもう一度、父――天上の星に向けて、その手を伸ばす。誰に憚ることなく、堂々と。

 シルエットの幼さから判断すると、これは父を喪った直後のぽってをイメージした影絵と思われる。この少女は哀慕に沈みながらも、心のどこかで父との思い出を受け止め、信ずるべき道標を心得ていたのかもしれない。しかし、それを直視するには、心の傷に慣れるまでの時間が必要だった。汐入で思い出の品を封じたのは、その反動による逃避衝動ではなかろうか。

 人間、逃げられないモノだからこそ、そこから逃げたくなるときが往々にしてあると思う。ぽってにとって、それが「父との思い出」だった。手を伸ばすと決めた天上の星だった。裏を返せば、ぽっては人一倍“思い出”を大切に出来る少女であり、“思い出”こそが彼女の歩む道を照らしてくれるのだと。ぽっての人生を追想しながら、双眸に涙を湛えてあのエンディングを眺めていました。

 閑話休題

 この年頃の少年少女は、自らの経験や研鑽(つまり“思い出”)を持て余してしまうのが普通なんじゃないかと思う。ぽって部の3人はそれこそ典型的で。彼女たちはそれぞれの立場で「迷い」を吐露している。麻音ちゃんは選択肢の多さに、のりえちゃんは実現の方法に。かおたんはまだ考えていない。*1

 それが当たり前だと思う。まだ迷っていい時期なのだから、存分に迷ってほしい。ちなみに私は、迷っている女の子は好きですよ。人間味に溢れていて可愛らしい。決断できる女の子には好意より畏敬が先に来る。*2

 その点、ちひろちゃんとともちゃんには恐懼を禁じえない。だって海外留学を高校3年生の春の時点で決めているのだから。ただ、(あくまで憶測ですが)これは過去の経験から海外留学を決めたというより、「今まで手を付けなかったことを、新たにしてみよう」という発想が起点なんだろうと思う。だから“思い出”を成長の糧にするぽってとは全く別の道に見える。それはそれで1つの選択だけど。巧美のプロ志向と同様に、ぽってにとって良い刺激となることは間違いない。

 高校生たちが進路選択に悩むなか、かなえ先輩は何処に向かっているのかよく分からない(笑)

 他にやりたいことがないのか、単に暇だったのか*3、或いは生来の人の良さが災いしたのか、さよみさんの勧誘へ二の句を告げずに同調する。

 映画にも出るとは聞いていたけど、写真に関する案件で出てくるとばかり思っていた。蓋を開けてみると、まさかの怪しい占い師さんと化していた。かなえ先輩ファン*4としては驚天動地である。加えて、あの衣装が無駄に似合っている。あのあの、えとえと、という少しコミュs……ミステリアス(?)な雰囲気にピッタリなんですよ。私も、ももねこ式スクライングで占ってほしい。*5

 まあ冗談はさておき、彼女の存り方は「写真好きが写真以外の道を歩むこともある」という模範例であり、その柔軟性を以ってぽっての夢――写真だけでなく「旅行」を視野に入れたい、という願望を肯定している。かなえ先輩の専攻は宇宙科学と、これまた写真との関連を意識したのか否か、よく分からない選択だ。だがそれでもいいのだと、先輩として示してくれたおかげで、ぽっては気楽に自分の夢を見つめ直すことが出来たのではなかろうか。

 加えて、かなえ先輩は今回の志保美さんと同様に、ぽっての「写真家としての先達者」*6であり、それでいて彼女の元から去ってしまった人。あの夜、囲炉裏の傍で交わした別離の睦言が、ぽっての脳裏をよぎったとしたら……。

 

 

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「やり残したことがいっぱい……」

 別れを前にして、ポツリと口にしてしまった後悔。

 蚊の羽音よりも小さくて、今にも消え入りそうな声だった。

 それを――

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「やり残したことなんてありません……!」

 優しく、偽りのない言葉で受け止めてくれた人がいた。

 今の自分はどうだろう。

 志保美さんに言いたいこと、聞きたいこと――“やり残したこと”がきっとある。だから、かなえ先輩がしてくれたように、私も“別れ”を受け止めなくてはならない。

 

 

 こんな感じで志保美さんと向き合う覚悟を決めたんじゃないかな、などと考えているわけです。

 かなえ先輩と再会する直前、人混みの中に志保美さんを見かけたとき、ぽっては思わずその場から逃げてしまった。そのシーンを受けて、CVの竹達さんは「志保美さんの存在がそれだけ大きなものなんだなと感じた」と語っている。

 大きなものと向き合うことは、つまり、矮小な自分*7を直視すること。大きなものを失うことは、つまり、それだけの“がらんどう”が心の中に広がるということ。受け止めきれない。でも、受け止めなくてはならない。懊悩するぽっての背中を――それも逃げ出した直後というベストタイミングで――押してくれた存在。それがかなえ先輩なのである。

 離別の思い出が、新たな離別と向き合うための勇気の源になる。“卒業写真”と銘打つだけあって、やはり物語のテーマはそういったところにあるらしい。ここに来てようやく「ああ、やっぱり終わってしまうんだな……」と実感した。ぽってと同じように、私とたまゆらーの皆さんは“たまゆら”との離別に向き合わなくてはならないのである……。*8

 

 

 本筋の話ばかりしても疲れるので、作画とか構図の話をしましょう。

 私が気になったのは3点。

 1つ目はぽってが皿をキッチンに乗せるシーン。劇場で感心したカットであり、それがパンフレットでも言及されていることを知って、やはりなと得心が行った。

 パンフレットでは曲がりの表現が難しいと書かれていた。それも瞠目に能う作画なんだろうけど、個人的には、重ねた皿を台所越しにお母さんへ渡すときに、ぽってが上半身をカウンターに乗せて、テーブル席側へお尻を突き出すような姿勢になるカットが大好き。遠めのアングルだけど、後姿だけでぽっての一生懸命さが伝わって来た。4人分の皿を一気に運ぶのはしんどかったのかな。

 SHIROBAKOで人が物を重そうに運ぶ作画は難しいと言われていたのを思い出す。ガルパンの作画注意事項にも「キューポラの蓋は重そうに開ける」という一文があり、4話でM4を追い駆けるシーンを見ればそれは一目瞭然。そういう理由で、私は重さの描写に拘るアニメが結構好きなのである。

 重さの描写と言えば、お茶のお代わりを貰いに行くぽってが、ポットを重そうに運んでいた。あのシーンは単純に「よいしょよいしょと懸命に運ぶぽってちゃん可愛い(*´ω`*)」と和むのも有りだが、実は別の視座で楽しむことも出来る。

 ぽってがお代わりを貰いに行ったのは、彼女の異変に気付いたちひろちゃんの詰問を避けるため。咄嗟にポットを持って席を離れたが、その中身を確認する暇はなかった。(そういう描写は無かったはず)しかしその中には多量のお茶が残っていて、ぽっての想定以上に重かったのである。

 意表を突かれて浮き足立ってしまったのだろう。裏を返せば、それほどまでに志保美さんの存在が彼女の中で大きかったのだ。それを「ポットを重そうに運ぶ」という描写だけで表現する。

 素晴らしい。言外に語る表現は私が最も好む見せ方の1つです。*9

 そういえばポットのシーンで思い出したのだが、本作はカメラのピントのように、“ぼかし”で奥行きを演出する場面が多い。冒頭のぽってが蝶に釣られるシーンしかり、ポットのシーンしかり。

 例えばファフナーEXODUSでは奥行きを使ったカメラワークが散見されたが、どれも画角を開いたり絞ったりすることで手前と奥を区別していた。一方、たまゆらでは画角を維持したまま、ピントを調整することで奥行きを表現している。

 前者は動的、後者は静的。

 臨場感を採るか、情緒を採るかの違い。加えて、ピントによる演出はカメラを彷彿とさせ、実にたまゆらしい画面作りだと思う。

 ……すみません、びっくりするぐらい話が横に逸れましたね。閑話休題

 2つ目は、Cafeたまゆらでぽって部とぽっての4人がスイーツを食すシーン。アングルがテンポよく切り替わり、ただ会話しているだけなのに全く飽きない画面構成。その中でも特筆して語りたいのは、カウンター側(珠恵母とおばあちゃん視点?)にアングルを置いて、遠めに4人を映すカット。世に言う「一点透視図法」というヤツでしょうか。“ぼかし”やカメラワークではなく、一枚の絵で奥行きを表現する。

 ともちゃんと巧美が意気投合して他の皆が呆気に取られるシーンも、同じような構図。画面左側――つまり下手を手前に、上手を奥に描く。双方の画面構成を比較すると、どちらも「会話がヒートアップしている集団」を上手奥に置き、「それを遠くから眺める視点」を下手手前に置いているのが分かる。

 視聴者の視点は後者に近く、さながら3Dのような立体感で上手奥の対象を見ることが出来る。……まあ所詮は私見なので、本当にそういう狙いがあったのかは分からない。だが例のシーンを劇場で見たとき、少なくとも私は、定点カメラとは思えないほどの立体感に感嘆の溜息が零れたのである。この表現もやはり、映画であるが故に映える演出なのだろうか。

 3つ目はスイーツの作画。

 とにかく「美味そう」。その一言に尽きます。

 おばあちゃんの新作スイーツ。のりえちゃんの筍スイーツ。

 文章では表現できない魅力がたっぷりと詰まった作画。巧美ちゃん(すずねえだっけ?)が筍スイーツにスプーンを差し入れたときの、スイーツの動き、光沢、スプーンの入り具合から伝わる柔らかさ。食品サンプルのような嘘っぽさはなく、光沢や動きを誇張して妙なエロティシズムを孕むこともない。ただ「美味そう」なスイーツ。

 たまゆらシリーズに出てくるスイーツを集めて、作画を比べてみるのも面白いそう。のりえちゃんの成長のほどが伺えたりするかもしれません。

 

 

 次の話題はキャラクターデザインについて。

 1期、2期と同様に飯塚晴子先生が担当された。他の人に変わらなかったことを、まず喜びたい。映画は時間が短い。例えば俺ガイルのように絵柄が変わると、順応するのに暫く掛かる。その間に抑えておくべき事項を見逃したり聞き逃すのは、勿体無いし致命的だ。

 それに何だかんだで息の長いシリーズで、しかもこれで最後なのだから、“分かっている人”にやってもらいたい。その結実と言うべき……なのか分からないが、2つほど改良点を見つけた。

 誰もが気付くことだが、高3組がみんな大人っぽくなっている。ポニーテールを止めてショートヘアにしたかおたん。ツインテールからおさげにしたのりえちゃん。髪を伸ばして少し色っぽさが出た麻音ちゃんとちひろちゃん。そして胸が大きくなった(そもそもデカい?)ともちゃん。*10そういった容姿だけでなく、表情からもあどけなさが減ったように感じた。

 その中で、ぽってだけは変わらない。上述したように、ぽって以外の高3組はまだ迷いがあったり、或いは、迷う段階を通り過ぎた。一方でぽっては“思い出”に根付いた夢を見据えているので、初めから迷う余地がなかった。この僅かな違いが、身なりや体裁にも表れているんじゃないかと思う。

 迷いを克服するためには大人にならなければならない、みたいな固定観念が「大人っぽさ」を生み出したとするなら、ぽっては「幼いまま」で夢を追いかけようとしているように見える。その在り方はまるで彼女のお父さんにそっくりだ。*11思えばかなえ先輩も、大学生活が始まったと言うのに、どこにも変わった点は見当たらない。ヘアゴムの球の色が変わったような気がするけど、言ってしまえばその程度である。なるほど、写真家という生き物は幼年の心を忘れないまま育つ傾向にあるのかもしれない。

 もう1つは上述の変化と比べれば小さいものだが、個人的には嬉しい改良である。もあぐれっしぶに比べて、目の下の睫毛が控えめに描かれているのだ。

 たまゆらの作画と言えばこの睫毛だと思うのだが、もあぐれっしぶでは少しやりすぎだったと感じる瞬間が何度かあった。特に第7話、皆で汐入に行く回では睫毛に違和感を覚えて、本編に集中できなかったという苦い記憶がある。

 そうでもないという方もいるだろうし、実際、気になったという人はリアルでもネットでもあまり見ない。なので本当に個人的な喜びである。(……いや、そもこれはキャラデザではなく原画マンの仕事の差という可能性もあるのだが。)

 

 

 

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 日の丸写真館の店頭を飾る一枚の写真。幼年のぽってが父を撮ったモノであると言われていたが、「いつから」「どんな意味を込めて」飾っていたのかについて言及されることは無かった。ぽって本人が今まで聞かなかったのだから、当然と言えば当然である。それを本作では詳らかに語ってくれた。

 たしかに、白い斑点みたいな謎の模様が多々映っていて、肝心の被写体は逆光で見えにくい……そんな写真が現像されたら、落ち込むのも無理はない。それを「大丈夫」と肯定してくれた父の言葉。写真家ぽっての原点である。それを写真館の店頭に飾るという行為は、マエストロがぽっての帰来を信じていた何よりの証拠だ。

 そしてそれ以上に嬉しいのは、マエストロが「いい写真ですよね」と言ったこと。彼は純粋に自分の好きな写真を店頭に飾りたかっただけなのかもしれない。そして、それが帰ってきたぽってを迎える準備になるということを、知った上で飾ったとしたら。かくも幸福に満ちた「おかえりなさい」を私は知らない。それに同調するように、お祖母ちゃんはぽってのための着物を用意していた。

 hitotose1話でぽっては「この街がずっと待っていた気がした」と言っていたが、それは紛れもない事実だったのである。お出迎えをかおたん1人に任せるのも優しさだと思う。マエストロもお祖母ちゃんも、本当はいち早くぽっての顔が見たかっただろうに。それぞれの場所で待つことを選んでくれた。

 「おかえりなさい」をアレンジした劇伴とともに、人々の真心を丁寧に描写していくスタイル。さすが“たまゆら”。肺腑に染み渡るような優しさである。

 

 いよいよ語ることも無くなってきた。残る題目はあと1つ。

 長くなって申し訳ないけど、もう少しだけお付き合いください。

 

 最後にまた本筋――ぽっての“卒業”について話そう。

 本作の山場、志保美さんとぽってがお抱え地蔵のそばで話すシーン。

 かなえ先輩との再会シーンから流れを追って考えたい。上述したように私は、この再開シーンを見たとき、もあぐれっしぶでの離別シーンを思い出した。だから当然、志保美さんとの会話も、かなえ先輩との離別シーンと対比しながら見ていた。

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  例えばこの表情。

 笑うでもなく、悲しむでもなく。ただ相手の言葉に耳を傾ける、純粋な誠意。だけど無表情ではない。全てを受け止めようとしたら心を空にするしかない、みたいなニュアンス。うーん……難しい。読者の方に伝わっている気がしない(笑)

 裏を返せば、心の底から相手に求めている。だから、何に替えても本当に尋ねたいことがあるとき、その相手に向けてこういう表情が出るのだと思う。

 そして志保美さんとの会話でも同じ表情をするカットがあった。*12

「もう、会えなくなっちゃうのかなとか……」 

 この台詞を口にする直前まで、(具体的な台詞の内容は忘れてしまいましたが)ぽっては懐かしむような表情で“思い出”を語っていた。その一連の台詞の最後に、ぽってが本当に尋ねたかったことを吐露した。このときの表情はやはり、純粋に相手の言葉を求める、あの顔だ。

 その問いに志保美さんが答えてくれる。ここまでの流れは、かなえ先輩と会話したときと同じ。そして、ここからの会話にぽっての成長が見える。志保美さんの答え――彼女の夢に対して、ぽってがきちんと自分の答えを返した。

「でも、もう大丈夫です。志保美さんの夢のお話が聞けたから。」

 かなえ先輩が「やり残したことなんてありません……!」と言ってくれたときは、その言葉を受け止めるだけで精一杯だったのだろう。瞳に涙を湛えてかなえ先輩の顔を見ることしか出来なかったぽって。

 そんな彼女がいま、志保美さんという憧れの人が抱いた夢を知り、受け止め、更に自らの胸懐を笑顔で(でも照れくさそうに)語る。その顔が別れ際のかなえ先輩の表情と重なって見えた。相手の言葉を優しく受け止めて、自分の気持ちを口にする。いつかかなえ先輩がしてくれたことを、今度はぽってが再現している。

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 そのときぽっての脳底には、お父さんの姿がリフレインしていた。唐突に目の前からいなくなってしまった父親。彼には何も伝えられなかったけれど、志保美さんには、いなくなる前に聞くべき言葉を聞き、伝えるべき言葉を伝えられた。その喜びと尊さを、ぽっては心中で噛み締めていたんじゃないかなと思う。

 ちなみに監督は父親のリフレインについて「志保美さんがいなくなると聞いた楓がすごく不安になったのは、無意識のうちに、急に父親がいなくなったときのことを重ね合わせていたからなんじゃないかと感じて。*13」と言っていた。

 なるほど。そう考えると、かなえ先輩との会話で“やり残したこと”を気にしていたのは、“やり残したこと”がたくさんあるのに、唐突に目の前からいなくなってしまった父親とかなえ先輩とを重ね合わせていたからなのかも。*14

 でも志保美さんとの“やり残したこと”はもう無いはず。出逢ったときのように写真を撮り合う、2人の子供のような笑顔。志保美さんの「想いのバトンが繋がった気がする」という言葉。それが全て。ぽっては本当に成長したんだなと実感した一時である。

 

 

 4月18日に映画を拝見してから10日ほど。

 たまゆらのことを考えながら(内容を思い出しながら)、暇を見て少しずつこの記事を書いてきた。中々に幸せな10日間だったなと思う。まさに一唱三嘆。優れた作品に何度も感嘆し、感興の赴くままにその心を記す。こういうことがしたくて、twitterとかブログをやっているんです。

 ただ考えれば考えるほど、ぽってが“卒業”に向けて着実に歩みを進めているのが分かってしまう。もっと言えば、シリーズそのものが「締め」に取り掛かろうとしている。

 ファンとしては嬉しいやら悲しいやら。

 ツイッターで「たまゆらの次回作は見たくない。でも出たら絶対見る。」という意見を見て、やっぱり同じ気持ちの人はいるんだなと。終わったあとに「殺す気かよ」と呟いた人もいるらしい。

 きっとサトジュン監督は1年単位でたまゆらーをじわじわと○す計画なんでしょう。

 そうは言っても8月の第2部公開が楽しみで仕方ない。キービジュの麻音ちゃんの立ち姿が凛々しくて好き。かおたんの進路もそろそろ明かされる頃かな。

 この1年はたまゆらーとして、複雑な気持ちを抱えたまま過ごすことになりそうです。

 

 

 

  

*1:但し、彼女は「口にしていないだけ」という可能性もあると睨んでいる。今はまだ皆には黙っておこう、と。かおたん呼びに反応しないのも怪しい。

*2:溺愛する対象はまた違うんだけど、ここでは控えます。

*3:そういえば高校時代、ぽってたち以外に友達がいる描写はなかったような……大学でも(ry

*4:「ぽてかな」という名前から、誰推しなのか分かりますよねw

*5:公式HPに「かなえ先輩の1日1回占いコーナー」とかつくりませんかね。結果をツイートさせれば宣伝にもなりそうだし。

*6:写真歴はぽっての方が長い。でも本人がかなえ先輩を写真の上級者として見ている節がある。何と言っても写真部を立ち上げるきっかけを作った人だから。

*7:特にぽっては自分の在り方や行いをネガディブに捉える節がある。「やり残したことがいっぱい……」もその一環なのかな。だからこそ、人との“思い出”を大切に出来るのかもしれない。……自分ではなく、人との関わりを。

*8:逃げてもいいですか

*9:所詮は私見なので、本当にそういう狙いがあったのかは分からない。あのポット、滅茶苦茶デカかった(ぽっての胴体と同じぐらいの高さ)し、空でも重そう。

*10:最後のは「大人っぽくなった」と言っていいのだろうかw

*11:たしかテレビシリーズで、お父さんは少年の心を持ったまま大人になった、みたいな言及があったと記憶している。嘘だったらすみません。

*12:パンフレットで監督が言及されていますね

*13:「感じて」と言っているのが素敵。ぽってをキャラではなく人として見ているんだね。

*14:それを踏まえると「初日の出までは、かなえ先輩……写真部ですよね?」という台詞もまた違って聞こえるような気がする。