読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぽてかなの私見

「記憶は薄れるから、記録しておくんだよ」「記憶なんて生きるジャマだぜ」

ゆゆゆの東郷さんが壁を壊せた理由

 壁の外に広がる真相を知ったとき、東郷美森は四国全体を巻き込んで無理心中を図った。その背景には友奈への愛情だけでなく、世界観や状況の設定が深く関わっていると私は考えている。彼女は、四国を滅ぼすことで人が大量に死ぬという状況を――喩え理解していたとしても――「実感」できる環境にいなかったのではないか。その論拠を2つ挙げて説明したい。

 まず1つ目はゆゆゆ時空における四国の脆弱性である。
 本作品における四国は「壁を壊して神樹を爆撃する」という作業を完遂するだけで滅んでしまう。人々の脳髄を撃ち抜いて惨殺したり、極太の砲塔で磨り潰してミンチにしたりする必要もない。四国滅亡の過程で人々の死体を直視する心配がないのである。東郷美森は自分の行為が死体の山に繋がることを理解していても、実感する機会がない。殺人の手応えを実感することなく、人々を虐殺することが出来る状況そのものが凶行への足掛かりとなったと推察する。

 2つめは、神樹によるモラル統制である。
 ゆゆゆ時空では神樹の影響でモラルの高い社会を形成しているという設定がある。こうした社会を維持するための施策として、所謂グロ画像が市民の目に入らないように規制している可能性が考えられる。そのっちの手記が検閲されていることから、ゆゆゆ時空のモラルが検閲と規制によって守られているのは明白である。
 東郷美森は右翼に近い思想を持つ娘なので、大戦の経緯を知る過程で人間の残虐性とその結果に触れる機会はあったと考えられる。しかし、それを臨場的に理解するための情報(画像や動画など)は全てモラル統制の元に規制されていた。そう仮定すると、壁を壊すことで生まれるであろう死体の山を東郷美森が明確にイメージ出来なかったのも無理からぬことである。百聞は一見に如かず。そうしたイメージは実物を見ないと得られないモノだろう。

 ところで、ナチスが人々を大量に虐殺することが出来たのは、残虐な人間がいたからではなく「罪悪感なく殺せるシステム」を作ったからだ、という考察がある。東郷美森のケースも同じことかもしれない。殺人の罪悪感が軽減される状況を設定することで、彼女の凶行に自然な流れを与える。非常に興味深い仕掛けであると私は考える。